2/21 友人と友人の作り方についての回想と考察

中学二年生の時、とても仲のいい友達ができた。お世辞にも性格がいいとは言えないやつだったけどいわゆる気が合うってやつだったと思う。俺は中一の時はクラスの中では目立たないほうだったし友達といえる奴はみんな陰キャだった、中二でも同じような立ち位置で過ごすのだと思ってた。でも違った。中二になってクラスが変わってあいつに出会ったことで、一瞬だったけど陽キャの世界を覗くことができた。あいつはお笑いが好きだった、お笑いが好きなのに妙にスカしてるとこがあって頭もよかったので、同じく頭がそこそこよくて、そのせいで周りを見下してるようなフシがあった俺はあいつと妙に気が合った。一緒に馬鹿なことをした。優越感があった。俺たち頭いいのにバカやってるっていう、そういう優越感。そういう期間がしばらく続いた、すごく楽しかった、あんなに楽しい日々を過ごしたのは後にも先にもあの時だけだと思う。中二も後半、12月頃になるとあいつには別の仲いいやつができた。寂しかった。寂しかったし、あいつがいないとまともに話す人も作れない自分にがっかりした。あいつは新しい仲いいやつと移動教室してる、俺はその後ろをついていくだけ、悲しかった。思えば俺は陽キャでもなんでもなかった。俺という人間の中身は中一の頃から何も変わっていなかった、クラスの中心でバカやれてたのはほぼあいつのおかげだった、当時はそこまでは考えていなかったけど、今思い返すとそういうことだ。何が言いたいのかというと受動的な人間関係の構築方法をとっていると交友関係が不安定になりやすいということだ。あの人と仲良くなりたいと思う人を見つけて自分からその人に話しかけに行く、これが結論なのだ。説教臭くなってしまったがこれは自戒だ。これができないから現在俺は友達がいなくて孤独なのだ。もし復学や別の大学に行くようなことになったら、広く浅い交友関係を持つ、そのなかで仲良くなりたい人を見つける、これを実行したい。おそらくだけどこれは全く同じ方法を異性との関係にも適応できる。彼女、ほしいなあ